ROUTE66-ルート66
ROUTE 66が語られるとき、決まって「旧きよき」とか「忘れられた」などの接頭語がつけられて語られてしまいます。
しかし、果たして本当にそうでしょうか。
日本の東海道や、中仙道が今もなお高速道路の脇でしっかりと生き続けているように、ROUTE 66も作られた当時の役目こそ終えているもののその周辺には今もたくさんの人々が暮らし、それぞれのドラマをはぐくんでいます。
そしてそこにいる人たちは私たち旅行者も含め、ROUTE 66にこよなき愛着と憧憬を持ってMOTHER ROADと呼んでいます。
国道としてのロードナンバーは剥奪されその一部はインターステートハイウェイの下敷きになったリ、地図からも抹消されてしまいましたが、変ってしまったのは時代という変化だけで、そのほとんどは地元の人たちの生活道路としていまも生き続けています。
建設後80年たった今、ROUTE 66はこれらの人たちの愛情によってよみがえり始めています。
それは日本の旧街道のような観光資源としてぶつ切りにされたものではなく、本来あるべきアメリカの文化と良心への回帰といってもいいものかもしれません。
不法入国者や麻薬中毒者の巣窟と化し、一時は見る影も無く荒れ果ててしまったニューメキシコ州アルバカーキのモーテルなども地元の人たちの熱心なネオンサイン復興運動によって元の活気あふれる安全なオアシスの街へと見事に復活を遂げました。
全米一子育てにふさわしくない町という烙印を押されてしまったアリゾナのキングマンでさえも今では安心して歩けるきれいな町に変貌しました。
シカゴからロサンゼルスまでの約2500マイル(4000キロ)の道路上には今、最盛期にこの道を支えた66ersたちの2代目・3代目の人たちがアメリカ国内はもちろん、世界中の国から集まってくる旅行者を笑顔で迎えてくれます。
子供のころ、テレビドラマで食い入るように見つめていたROUTE 66。あれから30年近くの年月を経て仕事で偶然立ち寄ったアリゾナでROUTE 66に再会して以来、自分にとってのアメリカを追体験するように走り続けているROUTE 66。訪れるたびにお気に入りの場所がいっぱい出来て同じ道をいったり来たり、いまだにシカゴまで到達していません。2~3年のうちには一ヶ月くらいの予定で完全走破を果したいと思っています。
今後はROUTE 66の写真だけではなくROUTE66を実際にドライブするときに役立つ詳細なルートマップの作成も含めた印象記などもご紹介する予定です。